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相撲用語としての抱え(かかえ)は、江戸時代に力士が大名家に武士の身分で取り立てられることを言った。本場所で好成績をあげた力士を抱えあげることもあれば、地元の有望者に国許で稽古をつませて本場所に送り込む場合もあった。 当時の力士は、部屋より抱えられた藩への帰属意識が強かった。本場所では同じ藩の抱え力士同士の取組は組まれず、逆に抱えが違えば同部屋対戦もありえた。 待遇は大関から平幕力士までそれぞれだが、まず抱えられたばかりの時で、最下級武士と同等。ただし、地方巡業で他国をまわる旅の自由が特権的に認められていたし、ひいきの後援者からの祝儀もあって、正規の家禄以外の収入も少なくなかった。 抱え力士の多くは藩主が参勤交代で国許入りする時にはこれに随行した。大名行列に見栄えを添えるためもあった。国許では火事や水害などの非常時の人手としての職務を名目上与えられたが、普通は相撲の稽古に専心することが許された。特に相撲好きな藩主であれば、稽古の様子を余興に供することもあった。 相撲会所(現在なら相撲協会)は、本場所前には抱え力士の出場願を各大名家に出さなくてはならなかった。藩主やその家族の都合で力士の出場が左右されることも少なからずあり、興行上不可欠な人気力士であれば年寄が国許まで赴いて嘆願することもあった。 力士を抱える大名家同士の力関係や派閥争いは、しばしば取組や番付の編成にも影響を与えた。 小野川喜三郎らを抱えた久留米藩、雷電爲右エ門、稲妻雷五郎らの松江藩、吉田司家を家臣に持った熊本藩などが、「相撲藩」として知られる。 category:大相撲 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「抱え (相撲)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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